「無自覚な破壊」に対する虚しさ 「うるさくてもシズカ」大石静 「婦人公論」(2009 8/22)
つまり「何かに反抗してやろう」「新たな価値を作ってやろう」という意味で伝統に対して反発しているのであれば時に評価できる場合もあるだろうが、「無自覚」で伝統破壊「無礼」を行っている者たちに対しては空しい怒りしか覚えない。
「虚しい」というのは、「破壊」しているとも知らずに「破壊」している者たちに対しての無力感というのはよく分かる。
例えば何かの意見に対して「それは違う」と異を唱えるのであれば、せめて「その意見」について理解した上でなければならないと思うのだが、まったく理解できていないのに「違う」などという人間もよくいる。
そうした人間を相手にするときの虚しさ。
もちろん時に「無自覚な破壊」から新しいものが生まれる場合もあるのは知っているが。
まあ滅多にそんなことはない。
大石静は次のように書いている。
今、浴衣をくずして着る女の子たちには、残念ながら、伝統を壊すという意志はない。その生き方のゆるさが、皮肉にも、浴衣の着方のだらしなさになって表れているように思える。
「うるさくてもシズカ」大石静 「婦人公論」(2009 8/22)
「虚しい」というのは、「破壊」しているとも知らずに「破壊」している者たちに対しての無力感というのはよく分かる。
例えば何かの意見に対して「それは違う」と異を唱えるのであれば、せめて「その意見」について理解した上でなければならないと思うのだが、まったく理解できていないのに「違う」などという人間もよくいる。
そうした人間を相手にするときの虚しさ。
もちろん時に「無自覚な破壊」から新しいものが生まれる場合もあるのは知っているが。
まあ滅多にそんなことはない。
大石静は次のように書いている。
今、浴衣をくずして着る女の子たちには、残念ながら、伝統を壊すという意志はない。その生き方のゆるさが、皮肉にも、浴衣の着方のだらしなさになって表れているように思える。
「うるさくてもシズカ」大石静 「婦人公論」(2009 8/22)
この記事へのコメント
洋服感覚ですものね いま…
たしかに伝統をとかいう感覚はないかもですね
ファッションですっていわれたら それまでですものね
浴衣について知りたいとも思わないんだろうなぁ
NYでは、市長自ら、腰パンの対策に乗り出したみたいですね。
そもそも腰パンは、刑務所で、ベルトが武器になったり、自殺の道具になることを防ぐために、囚人たちからベルトを取り上げたことが発祥らしいのですが、これを知っていてやってる若者は、まずいないんじゃないかなあ。。。
なんでも自由だろう!なんて屁みたいなことを平気で言えるゆるさ、恥。
崩すことで新しいものが生まれることもありますが・・あまりに無自覚で伝統の美しさを損なうものはいただけません。
RUKO
そうなんですね。
結局多くの若者は「流行っているから」ということで着ているだけで、実際は選択などしていない。
つまり個性がまるでない、ということにもなりますね。
RUKO
実は多くの若者は「自由」などと言いながら、メディアの宣伝でがんじがらめになっていますよね。本当の「自由」には程遠い・・。
RUKO
「無自覚な破壊」、周りにたくさんある様な気がします。
良いか悪いかは良く分からないんですが、自分の尺度で見た場合、嫌な気分になりますね・・・。
困ったものです。
確かにそうですね。
柔軟でなければいけないとは思いますが、人間譲れないものもありますよね。
RUKO