中島敦を読もう! 「名人伝」で夏に気合!

さて知っている人は知っているだろうが、知らない人は知らないだろうから、中島敦について少しだけ触れておこう。
中島敦は1909年に生れ1942年に没している。彼の人生は満33歳で終わった。  
残した作品が数多いわけでなく、しかも短いものが多いのだけど、驚異的な集中力を持って創作された小説世界には今でも熱烈なファンが多い。
では「名人伝」、昨日の続きの部分だ。

毎日々々彼はぶら下がった虱を見詰める。初め、勿論それは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然として虱である。ところが十日余りを過ぎると、気のせいか、それがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。

  「名人伝」中島敦

実際にこんなトレーニングをしてこんな結果の結び付くかどうかは分からないが、「人間の可能性」と「鍛錬・努力」などということについて考えさせられる内容だ。
うん、気合が入る!
オス!

この記事へのコメント

2010年08月07日 12:18
あ、ルコ様の男らしい一面が。。。!!
2010年08月07日 13:16
『李稜』や『山月記』が、教科書に載っていました。
中島氏が、そんな特訓をしていたなんて!
2010年08月07日 14:29
画家は絵筆を隠(かく)し、楽人は瑟(しつ)の絃(げん)を断ち、工匠(こうしょう)は規矩(きく)を手にするのを恥(は)じたということである。
 最後の一文ですが、極限について書かれた短編ですね!
気管支喘息で若くして亡くなった惜しい文人ですね。
いまならば、殆ど【 気が違う:キチガイ!】扱いでしょうか。
 事物の展開、発想は、本当に宇宙を駆け巡るような気分になります。
2010年08月08日 02:00
シービーちゃん様

これは小説中の話だと・・・。

                 RUKO
2010年08月08日 02:04
teddy0905様

日本にも凄い作家がいましたね。
発想、文体ともケタはずれですね!

樋口一葉などはその代表のようなものですね。

                         RUKO
2010年08月08日 09:57
山月記の方ですね~
とても短い文壇生活だったのですね。
今だったら、必ず治る病だったように思います。
惜しいですね☆

虱ですか~敬遠したいやから・・
なるほど、そんなに小さいものでも毎日見詰める
訓練を積むと~
>「人間の可能性」と「鍛錬・努力」
このように捕らえるRUKO様が凄いのですが
納得です~
2010年08月08日 14:25
スマイル様

中島敦はときどき読み返したくなりますね。

小説の話とは言え、「特訓」には気合が入ります。(笑)

                          RUKO

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