●「悪徳のレシピ、あるいはマルキ・ド・サドも吃驚か」~「竹輪の悪徳レシピ」篇。その3&「マヨネーズは悪徳の熾天使?」その1。
●「悪徳のレシピ、あるいはマルキ・ド・サドも吃驚か」~「竹輪の悪徳レシピ」篇。その3&「マヨネーズは悪徳の熾天使?」その1。
「竹輪」というくらいだから、しっかり中心に竹が存在したままで売られている商品もよく見かけた。
「見かけた」と過去形になっているのは、(そう言えば、最近スーパーではよく見ないなあ)と感じているからだ。
竹が通ったままで売っていた竹輪は生のまま食べた。
醤油は欠かせないが、加えてわさびを使ってスパイシーにした。
わたし、スパイシー系、かなり好きなんです。
今でもそうで、スパイシーにできるものはスパイシーにしたいタイプです。
しかしそんなわたしを、「スパイス男子」などと呼ぶことは許されない。
少なくとも、「スパイス公儀介錯人」くらいに呼ばれなければね。
いや、『子連れ狼』原作の拝一刀の造形は素晴らしいな。
こればっかりは、若山富三郎も萬屋錦之助も、原作の拝一刀には敵わない。
いや、二人ともなかなかに素晴らしいんですけどね。
原作が凄過ぎるのです、『子連れ狼』に関しては。
例によって話が横道に逸れたが、今ではあまり買わないけれど、子どもの頃はクオリティ高い目の竹輪ばかり買うような贅沢はできず、チープな竹輪を買った時はサラダ油で炒めた。
オリーブオイルとかキャノーラ油とかは出回っておらず、そもそもオリーブオイルで竹輪を炒めてどうするのかというのもあるし。
で、たっぷりの油でかなりギトギトに痛めた竹輪に、当然ながら、「醤油&マヨネーズ」である。
そして茶碗に大盛のご飯。
これがいけるのだな。
ご飯のおかわりしたりして。
そもそも「醤油&マヨネーズ」をご飯につけただけでもけっこういけるのである。
正にマヨネーズは悪徳の熾天使か?
まあ、魚肉ソーセージなんかも、「醤油&マヨネーズ」さえあれば、ご飯のおかわりできてましたなあ。
※注 あくまでわたしがだいたいティーンエイジャーの頃のレシピです。今は普通(笑)やりません。
「竹輪」というくらいだから、しっかり中心に竹が存在したままで売られている商品もよく見かけた。
「見かけた」と過去形になっているのは、(そう言えば、最近スーパーではよく見ないなあ)と感じているからだ。
竹が通ったままで売っていた竹輪は生のまま食べた。
醤油は欠かせないが、加えてわさびを使ってスパイシーにした。
わたし、スパイシー系、かなり好きなんです。
今でもそうで、スパイシーにできるものはスパイシーにしたいタイプです。
しかしそんなわたしを、「スパイス男子」などと呼ぶことは許されない。
少なくとも、「スパイス公儀介錯人」くらいに呼ばれなければね。
いや、『子連れ狼』原作の拝一刀の造形は素晴らしいな。
こればっかりは、若山富三郎も萬屋錦之助も、原作の拝一刀には敵わない。
いや、二人ともなかなかに素晴らしいんですけどね。
原作が凄過ぎるのです、『子連れ狼』に関しては。
例によって話が横道に逸れたが、今ではあまり買わないけれど、子どもの頃はクオリティ高い目の竹輪ばかり買うような贅沢はできず、チープな竹輪を買った時はサラダ油で炒めた。
オリーブオイルとかキャノーラ油とかは出回っておらず、そもそもオリーブオイルで竹輪を炒めてどうするのかというのもあるし。
で、たっぷりの油でかなりギトギトに痛めた竹輪に、当然ながら、「醤油&マヨネーズ」である。
そして茶碗に大盛のご飯。
これがいけるのだな。
ご飯のおかわりしたりして。
そもそも「醤油&マヨネーズ」をご飯につけただけでもけっこういけるのである。
正にマヨネーズは悪徳の熾天使か?
まあ、魚肉ソーセージなんかも、「醤油&マヨネーズ」さえあれば、ご飯のおかわりできてましたなあ。
※注 あくまでわたしがだいたいティーンエイジャーの頃のレシピです。今は普通(笑)やりません。
この記事へのコメント
>「日本人は善玉でないとならない」
そうですね、団体所属でいえば、鶴見五郎と大位山勝三のコンビが国際プロレスで日本人悪役をやっていましたが、鶴見も大位山も吉原社長思いのレスラーだったので、吉原社長にやらされている感が強くて、あまりインパクトはありませんでした。そういえば鶴見五郎と大位山勝三は、最後の1年は報酬をもらっていないそうですね。大位山勝三が「真夜中のハーリー&レイス ポッドキャスト」で話した内容は面白かったですが、今はYoutube削除されちゃったのか見つかりませんでした。
やっぱり日本人悪玉を初めてやったのが上田馬之助になるわけですね。上田は全日本を飛び出したものの、日本テレビとの3年契約のしばりで他団体に行けず、シャチ横内をめぐって一緒に全日本を飛び出した松岡巌鉄とも不仲になり、そして松岡の忠告通りシャチ横内にタカられて家屋敷も失って家族で逃げるようにアメリカに渡ったそうです。
3年後に国際で使ってもらえることになり、まだら狼として来日して木村からIWAもとって、しばらくは団体のトップ悪玉としてやるのかと思ったら、新日本に声をかけられて仁義を守らず行ってしまいました。
これは、業界的にやってはいけないことなんですよね。マスカラスが小鹿に負けてロスを出ていったように、世話になった団体のレスラーの価値を上げてから出ていかなければならないのに、上田は木村に勝ったまま勝ち逃げをして新日に行ってしまったのです。たぶん、新間寿がそう命じたんでしょうね。そうしないとお前の商品価値は認めないと。
上田は試合スタイルだけでなく、ビジネス上も嫌われることをしたのですが、上田は新日本登場時、それほど切羽詰まっていたということがいえるのと、やはりそれは団体に所属していないからできたんでしょうね。ですからやはり、上田馬之助のもっとも輝いた時期は、その頃だったんでしょうね。