●末尾ルコ「平成史」~天安門事件と共産主義シンパ、そしてWinkと長渕剛の印象。
●末尾ルコ「平成史」~天安門事件と共産主義シンパ、そしてWinkと長渕剛の印象。
末尾ルコ「日本現代史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
平成元年は1989年である。
その年の6月、北京で天安門事件が起きている。
テレビのある報道番組で、天安門事件が勃発する少し前、デモの群衆と中国人民解放軍の兵士が談笑している映像が流され、「さすがに人民解放軍は違うという声も出ています」といったコメントが挟まれた。
その後、人民解放軍が群衆に対して何をしたかはもう誰もが知っている。
平成元年にしてまだマスメディアの中には中国共産党に対する幻想はあったのだと思うとファンタジーな気分さえ生じる。
そう言えば最近「テレビスタッフに手伝わせての自殺」で物議を醸した西部邁がこの天安門事件を受けて、「これにて共産主義に対する幻想を一切捨てよ」といった趣旨の文章を書いていた。
つまり西部邁にとっても平成元年においてはまだまだ知識人やマスメディアの中に「共産主義に対する幻想」を持つ人たちがかなりいたという認識だったわけだ。
平成元年にして、である。
さて、平成元年の日本でどのような曲がヒットしていたかというと、オリコンによるトップ10が次の通りである。
1 プリンセス・プリンセス「Diamonds (ダイアモンド)」
2 プリンセス・プリンセス「世界でいちばん熱い夏」
3 長渕剛「とんぼ」
4 光GENJI「太陽がいっぱい」
5 Wink「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」
6 工藤静香:「恋一夜」
7 Wink「淋しい熱帯魚 〜Heart On Wave〜」
8 工藤静香「嵐の素顔」
9 工藤静香「黄砂に吹かれて」
10 Wink「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」
ふ~ん。プリンセス・プリンセスってこんなに売れていたのか。
そしてWinkと工藤静香が3曲ずつ入っていて、演歌は1曲も入ってない。
これら10曲の中でわたしが当時よく歌っていたのはWinkだった。
まあわたしはカラオケは好きではないので、家でアカペラ(笑)で、しかも一人で歌っていたのだが。
あ、わたし、男性ですよ。
最近Winkの当時の動画をいくつか視聴したけれど、(え?これがあんなに売れてたの?)と不思議感さえ感じてしまった。
日本の歌謡史の中の女性デュオの先輩であるザ・ピーナッツやピンク・レディーと比べても、一切の粘度を感じさせない力の抜けようがウケたのか。
工藤静香は個人的にはまったく興味が無かったのだが、彼女を好きなファン層の心理については理解できる。
長渕剛は「順子」とか歌っていた頃は、さだまさしや南こうせつと同系統に見えていたのだが、どんどんマッチョ&日焼けサロンになっていったわけで、こうした人間の心理についてはかなり見え見えではある。
今でも記憶に新しいのだが、『ザ・ベストテン』で、まだマッチョでない頃の長渕剛が先に座っていて、世良公則が出てくると明らかに目を逸らしてように見えた。
末尾ルコ「日本現代史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
平成元年は1989年である。
その年の6月、北京で天安門事件が起きている。
テレビのある報道番組で、天安門事件が勃発する少し前、デモの群衆と中国人民解放軍の兵士が談笑している映像が流され、「さすがに人民解放軍は違うという声も出ています」といったコメントが挟まれた。
その後、人民解放軍が群衆に対して何をしたかはもう誰もが知っている。
平成元年にしてまだマスメディアの中には中国共産党に対する幻想はあったのだと思うとファンタジーな気分さえ生じる。
そう言えば最近「テレビスタッフに手伝わせての自殺」で物議を醸した西部邁がこの天安門事件を受けて、「これにて共産主義に対する幻想を一切捨てよ」といった趣旨の文章を書いていた。
つまり西部邁にとっても平成元年においてはまだまだ知識人やマスメディアの中に「共産主義に対する幻想」を持つ人たちがかなりいたという認識だったわけだ。
平成元年にして、である。
さて、平成元年の日本でどのような曲がヒットしていたかというと、オリコンによるトップ10が次の通りである。
1 プリンセス・プリンセス「Diamonds (ダイアモンド)」
2 プリンセス・プリンセス「世界でいちばん熱い夏」
3 長渕剛「とんぼ」
4 光GENJI「太陽がいっぱい」
5 Wink「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」
6 工藤静香:「恋一夜」
7 Wink「淋しい熱帯魚 〜Heart On Wave〜」
8 工藤静香「嵐の素顔」
9 工藤静香「黄砂に吹かれて」
10 Wink「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」
ふ~ん。プリンセス・プリンセスってこんなに売れていたのか。
そしてWinkと工藤静香が3曲ずつ入っていて、演歌は1曲も入ってない。
これら10曲の中でわたしが当時よく歌っていたのはWinkだった。
まあわたしはカラオケは好きではないので、家でアカペラ(笑)で、しかも一人で歌っていたのだが。
あ、わたし、男性ですよ。
最近Winkの当時の動画をいくつか視聴したけれど、(え?これがあんなに売れてたの?)と不思議感さえ感じてしまった。
日本の歌謡史の中の女性デュオの先輩であるザ・ピーナッツやピンク・レディーと比べても、一切の粘度を感じさせない力の抜けようがウケたのか。
工藤静香は個人的にはまったく興味が無かったのだが、彼女を好きなファン層の心理については理解できる。
長渕剛は「順子」とか歌っていた頃は、さだまさしや南こうせつと同系統に見えていたのだが、どんどんマッチョ&日焼けサロンになっていったわけで、こうした人間の心理についてはかなり見え見えではある。
今でも記憶に新しいのだが、『ザ・ベストテン』で、まだマッチョでない頃の長渕剛が先に座っていて、世良公則が出てくると明らかに目を逸らしてように見えた。
この記事へのコメント
河原崎長十郎はそれで前進座を除名になって、子供の代で、河原崎長一郎と中村梅之助が共演した時に「歴史的和解」のような報道がありました。
社会主義協会派(日本社会党)は、ソ連中国北朝鮮べったりなので、そういう分裂はなかったのですが、日本共産党は、コミンテルン日本支部なのか、日本独自の共産党なのか、という対立が幹部だけでなくそうした文化人党員間にもありました。俳優と政治の問題も調べてみると面白いですよ。
で、外国の共産党がいろいろトラブルを起こすので、それらに媚びない日本独自派が正しかったという党史になっているのですが、その派を率いてきたのが宮本顕治で、そこまでの慧眼だったのか、ただたんに諸外国の共産党とうまくやっていけないだけの頑固者だったのか、それはなんとも言えません。でもまあ、貴乃花親方的ないびつさはどこかシンパシーがあるので、少なくとも「反自民」なら味噌もクソも手を繋ぎ、民進党系に対して何も文句が言えず、宇都宮健児をピエロにして鳥越某を喜んで担いだ今の共産党よりは理解できましたけどね。
>平成元年の日本でどのような曲がヒットしていたかというと
ああもうこのへんはもうさっぱりです。工藤静香というのはどうにも受け付けないお方で、おニャン子クラブの頃から「なんでこんなのが入ったんたろう」と思っておりました。この人が入って、新田恵利や国生さゆりらがやめたあたりから、おニャン子クラブも関心が薄れてしまいました。
渡辺満里奈のバックに抜擢され、「うしろ髪ひかれ隊」の1人になり、そしてソロ・デビューという出世には、処世術に長けた女なんだろうなと見ていたので、まあ木村拓哉を憮然とさせただまし討ちのデキ婚といいSMAP独立騒動の黒幕といい、然もありなんだなあと思いました。