●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌28日&母のピアノの先生出演の『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』鑑賞。~「劇場(映画館)」での鑑賞はなぜ「特別」なのか。
アート ●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌28日&母のピアノの先生出演の『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』鑑賞。~「劇場(映画館)」での鑑賞はなぜ「特別」なのか。
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、音楽の話題」
10月28日(月)手術後223日目
退院後29日目
10月26日はとても大事な日で、母がいつもお世話になっているピアノの先生がコンサートに出演するということで、こうした催しへ行くのも約半年ぶりである。
それは高知県立美術館ホールで行われた『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』。
母の先生はこの中の出演者の一人である。
プログラムは2部構成になっていて、
1部
「2つの間奏曲」(イベール)
オペラ『海賊』より
その無邪気な微笑みで~
なんという不吉な音が、、おお太陽よ!
(ベッリーニ)
コルレリの主題による変奏曲op.42
(ラフマニノフ)
2部
荒城の月21~Moonlight ollusion~ (水野利彦編曲)
オペラ「リナルド」より 私を泣かせてください (ヘンデル)
オペラ「ラ・ボエーム」より 私が街を歩くと (プッチーニ)
映画「アラジン」より ホール・ニューワールド(アラン メイケン)
エチュードOp.10-3「別れの曲」(ショパン)
巡礼の年 第2年「イタリア」より ペトラルカのソネット第104番(リスト)
「くるみ割り人形」より
・行進曲 ・金平糖の踊り ・葦笛の踊り ・花のワルツ
わたしはよく考えると、「演奏だけのクラシック音楽コンサート」というのは数えるほどしか鑑賞経験がないですね。
いや、数えるほどよりはもう少し行ってるかな(笑)。
けれどある時期から舞台芸術鑑賞はもっぱらバレエ鑑賞となった。
全幕バレエなどであればフルオーケストラの演奏も愉しめるのですが、あくまで主役はバレエです。
だから今回、母の先生が参加した『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』をとても新鮮な気持ちで鑑賞できた。
そしてあらためて、「劇場で鑑賞するのは特別な経験」だと痛感した次第です。
これは映画館で映画鑑賞する場合も同様なのですが、劇場では
「演目(映画)に集中する以外の選択肢がない」のですね。
いやいやいやいや、当たり前っちゃあ当たり前なのですが、わたしも母が入院中には映画館さえへも足を運べなかったので、そしてわたしとしては「半年以上」という非常に長い期間一切劇場へ行かなかったから、逆に新鮮な感覚として実感できたのかもしれない。
とにかく、「出し物に集中するしかない」という状況は素晴らしいですな。
ネットの動画サイトなどで観てしまうと、いつでも止められるし、別のことを始められる。
「いくらでも選択肢がある」という状況は時に空虚でしかないのではないか。
ホント、そう感じました、この度は。
10月28日(月)手術後223日目
退院後29日目
10月26日はとても大事な日で、母がいつもお世話になっているピアノの先生がコンサートに出演するということで、こうした催しへ行くのも約半年ぶりである。
それは高知県立美術館ホールで行われた『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』。
母の先生はこの中の出演者の一人である。
プログラムは2部構成になっていて、
1部
「2つの間奏曲」(イベール)
オペラ『海賊』より
その無邪気な微笑みで~
なんという不吉な音が、、おお太陽よ!
(ベッリーニ)
コルレリの主題による変奏曲op.42
(ラフマニノフ)
2部
荒城の月21~Moonlight ollusion~ (水野利彦編曲)
オペラ「リナルド」より 私を泣かせてください (ヘンデル)
オペラ「ラ・ボエーム」より 私が街を歩くと (プッチーニ)
映画「アラジン」より ホール・ニューワールド(アラン メイケン)
エチュードOp.10-3「別れの曲」(ショパン)
巡礼の年 第2年「イタリア」より ペトラルカのソネット第104番(リスト)
「くるみ割り人形」より
・行進曲 ・金平糖の踊り ・葦笛の踊り ・花のワルツ
わたしはよく考えると、「演奏だけのクラシック音楽コンサート」というのは数えるほどしか鑑賞経験がないですね。
いや、数えるほどよりはもう少し行ってるかな(笑)。
けれどある時期から舞台芸術鑑賞はもっぱらバレエ鑑賞となった。
全幕バレエなどであればフルオーケストラの演奏も愉しめるのですが、あくまで主役はバレエです。
だから今回、母の先生が参加した『高知コンサート・グループ 第67回定期演奏会』をとても新鮮な気持ちで鑑賞できた。
そしてあらためて、「劇場で鑑賞するのは特別な経験」だと痛感した次第です。
これは映画館で映画鑑賞する場合も同様なのですが、劇場では
「演目(映画)に集中する以外の選択肢がない」のですね。
いやいやいやいや、当たり前っちゃあ当たり前なのですが、わたしも母が入院中には映画館さえへも足を運べなかったので、そしてわたしとしては「半年以上」という非常に長い期間一切劇場へ行かなかったから、逆に新鮮な感覚として実感できたのかもしれない。
とにかく、「出し物に集中するしかない」という状況は素晴らしいですな。
ネットの動画サイトなどで観てしまうと、いつでも止められるし、別のことを始められる。
「いくらでも選択肢がある」という状況は時に空虚でしかないのではないか。
ホント、そう感じました、この度は。
この記事へのコメント
お母様も良い刺激になったでしょうね
映画好きのうちのかみさんも、前は家でブルーレイとかも
見てましたが、「どうしても途中でストップすることが
あったりして集中出来ないから感動が薄い」と言ってました(⌒-⌒; )
ほとんどの皆さんが、行けない理由を先にあげがちながら、その気にさえなったら不可能はないと私も常々思っております。
自宅で観る映画と、映画館で観る映画の最も大きな差は、記事に書かれている通りですね。・・・と言いつつ、映画館に前回足を運んだのがは何時であったのか?
しばらく、そうしていない事実を痛感してしまう自分です。