「最高の絶望」と「楽しさ」の関係。 柄谷行人による「死に至る病」キルケゴールの解説 「必読書150」太田出版

先日紹介した「死に至る病」(キルケゴール)に対する柄谷行人の文章をもう一度下に挙げる。

信仰していると思っている人も、実は絶望している(ことを知らない)。さらに、絶望していることをどんなに自覚しても、それから出られるわけではない。

実に絶望的な本である。あまりに絶望的なのでいっそ楽しくなるというような本である。

    「必読書150」太田出版

この文章で着目すべきは、「絶望」という言葉が繰り返し出てくるという点だ。
「絶望」というのはかなり感情的な言葉で、あまり柄谷行人のイメージとしっくり来ない。
つまり柄谷行人にして「絶望」を連発するほど、「死に至る病」は「絶望的」な内容を含んでいるということなのだ。
もはや衒学やレトリックさえ駆使する気もなくなるほど「絶望」なのであろう。
そして最注目は「あまりに絶望的なのでいっそ楽しくなるというような本である。」というフレーズだ。
実はこの境地、わたしにはとても「実感」として伝わって来るのである。
もちろん柄谷行人がわたしと同じ「実感」を持ったなどという大それたことを言っているのではない。
しかし「下手な希望」は人生を苦しくするというのがわたしの持論の一つ。。
その意味で、「あまりに絶望的なのでいっそ楽しくなるというような本である。」というフレーズに「わが意を得たり」という感触を持ったわけだ。(笑)

この記事へのコメント

2025年11月30日 20:13
(。・ω・)ノ゙ Nice‼です♪